令和2年度卒業設計 松遙賞(最優秀賞)「シン・メタボリズム」

作品名:「シン・メタボリズム」
受賞者:濱崎拳介
作品講評:

メタボリズム=ゴジラ(レトリックとしての建築,直喩・メタファーと換喩・メトニミーから寓意・アレゴリーへ)
本作品は,明らかに大高正人氏(以下,敬称略)の坂出人工土地へのオマージュである。そう解釈するとメトニミーの一つである包含という修辞技法が作品に読み取れる。製作者本人は香港の九龍城から着想したと説明するが,そう解釈すると単なるメタファーとなり,あまり面白い作品ではない。しかも,九龍城にメタボリズムを見出すというのは「誤解」以外の何ものでもないが,現在の学生にとって九龍城も坂出人工土地も失われた迷宮という点では共通するのかもしれない(後者はまだ存在するが学生にとっては失われた土地なのであろう)。ここにメタボリズムというネーミングをしたところに強烈なメッセージ性,つまりメトニミーが生まれた。さらに「シン」という冠を載せることで,メタボリズムとゴジラがシンクロするという構図となる(シンには「新」,「真」あるいは「神」の意味があるのかもしれない。ここではシンクロのシンでもよい)。つまりメタボリズム=ゴジラなのであり,放射能によって生まれ,東京湾から出現し,近代建築だけでなく,東京の下町にあった木造家屋もなぎ倒していく。シン・ゴジラでは,それに右往左往される為政者,役人が描かれ,謎の和製外国人も登場したり,謎の秘密兵器が考案されたり,混とんとした場面の一方でゴジラは微動だにしない。これってメタボリズムと同じなのではないか?近代建築の和製ヒーローとして登場したメタボリストたちは,実はゴジラだったのだ。街を破壊しながら実は正義の味方だったりする。水戸黄門の善悪(勧善懲悪,good/bud)ではなく,行為者が関わる正邪(right/wrong)の世界の登場である。設計演習を含めて,善悪でコンセプトを語る学生が多いが,建築には建設という行為が含まれるので正邪の世界のほうが実は近い。メタボリズムは「善だけど邪」(good but wrong)のワールドなのだ。
しかし学生はゴジラを知らない20代はじめの若者である。こうした解釈はおそらく受け手側の暴走なのであるが,建築作品,あるいは芸術の魅力のひとつでもある。とすれば,この過密な住居を圧倒している人工地盤の異様なスケール感は「進撃の巨人」なのではないか?とも思う。ゴジラは当時の東京下町の木造家屋を焼き尽くしていくが,進撃の巨人では巨大な壁がギリギリ過密な都市を守っている。このゴジラに進撃の巨人をかぶせるという構図(メタファー)は,メタボリズムを都市化しようとしているように見えた(完全に受け手の暴走)。しかも,かつて進撃の巨人の実写版映画が犯した失敗,つまり実写というリアリティ(これは設計作品には不可欠)がもつ呪縛(怪獣VSヒーローの陳腐な説明的構図)をうまく回避できている。その回収劇は,おそらく作者が意図していない「模型の不在」と「平面図がないこと」によってもたらされた。模型はおそらく存在するだろうが,受け手の想像にまかせるしかない状況下で,そのパーツを「アイテム」風に示したこと(デアゴスティーニあるいはアシェット風),それによっておそらく評者は「存在しない」完全な模型(モデル)を思い浮かべてしまった。またゴジラは決して平面図的には描かれないことによって(映画では,平面としてはブラウン管の上に点滅する点として表現されるだけ,むしろ進撃の巨人の解説図を思い起こす),平面図的な説明がキャンセルされることが「あたりまえ」に思えてしまった。受け手のなかに,こうした全くの不測の事態が化学反応のように巻き起こってしまったのである。
この不測の事態をさらに暴走させると,シン・ゴジラはシン・ウルトラマンにつながるはずである。ゴジラや進撃の巨人に共通するテーマは「不条理な現実」であり,これはコロナ禍とも似ていて,ある日突然,得体のしれないものが襲ってくる,あるいは外側の知らない(理不尽な)世界に遭遇するといった現実である。これに立ち向かうヒーローに課せられた意味不明の制約として,3分しか持たない,なぜか怪獣と同じ大きさになる,必殺技があるのに最後まで使えないなど,これは不条理としか思えないのだが,それを受け止めることこそが「はじまり」となる。ここに一つのアレゴリーが生まれる。不条理な制約のもとで何かを変えようとするヒーローたちをリスペクトするように,学生が提示するシン・メタボリズムもリスペクトするべきではないか,またコロナ禍を越えて何かをはじめなければならないのではないか。昔のゴジラのように困ったときだけ頼っておいて,最後に葬り去ってはいけない。この作品だけでなく,理不尽な制約下で戦った我らが邪神としての和製ヒーロー(槇文彦,菊竹清訓、黒川紀章、大高正人、栄久庵憲司ら)の活躍を今一度リスペクトしたい。彼らがシン・ウルトラマンとして復活する日も近い。